山菜料理 出羽屋

春の輪郭

山ノオト

2026.05.06

雪囲いが外れ、庭の木々にも少しずつ緑が戻りはじめると、
出羽屋にも春の匂いが満ちはじめる。

今年は雪どけも早く、山菜も例年にないほど急ぎ足だ。

毎日のように山から届く籠を見ながら、
そのスピードに頭も身体も追いつかず、
気持ちばかりが先へ急いでいく。


春はうれしい。
けれど、出羽屋の春は、いつも慌ただしい。


そんな季節のはじまりとともに、
今年も全国各地からアルバイトの子たちが来てくれた。


東京、京都、福岡。

それぞれ違う土地で暮らしてきた人たちが、
この小さな宿に集まり、一緒に働き、同じまかないを囲み、山へ入る。


ゴールデンウィークの真っ只中。
本当なら、少しでも長く眠っていたい朝だった。


それでも朝四時に起きて、みんなで山へ向かった。

まだ少し冷たい風の残る山の中を、
たらのめやこしあぶらを探して歩く。


「あった!」
「これですか?」


そんな声が飛び交う。
山菜初心者のみんなが、夢中になって山を歩く姿を見ていると、
不思議とこちらまで気持ちがほどけていく。


山菜料理として見る前に、まず山菜がどんな場所に生えているのかを知ること。
どんな雪を越え、どんな光を浴びて春を迎えるのかを知ること。

出羽屋では昔から、料理だけではなく、
山や暮らしそのものに触れることを大切にしてきた。


山菜の日に、ボランティアとして来てくれた東京の男の子がいる。
この二ヶ月のあいだに、もう三度も出羽屋へ足を運んでくれた。
以前、そっと置き手紙を残して帰った、あの子だ。

彼には、将来の明確な目標がある。
その目標に近づくために、「出羽屋をいろいろ感じたい」と話してくれた。

今回もまた、たくさんのことを感じて帰っていった。
きっと、そう遠くないうちに、またここへ帰ってくるのだろう。

こんなにも忙しい毎日なのに、
外からやって来る人たちの姿に、はっとさせられることがある。


ぼくたちは、どうありたいのか。
どこへ向かっているのか。


毎日必死に走っていると、つい見失いそうになるものを、
逆に外から来た人たちに教えられる。


出羽屋は、村であり、レストランでもある。

山の暮らしや手仕事を残したいと思う一方で、
極上の山菜料理を求めて、全国から足を運んでくださるお客さまもいる。


そのあいだで揺れることも、正直ある。

もっと研ぎ澄ませたほうがいいのではないか。
もっと効率よく、もっと洗練させたほうがいいのではないか。


そんなふうに思う日もある。

けれど、山を歩くみんなの背中を見ていると、
料理は厨房だけで生まれるものではないのだと、あらためて思う。


山の空気を吸い、土に触れ、季節の移ろいを身体で知ること。
その積み重ねの先に、料理がある。

村のような営みと、世界へ向かうレストラン。
きっとそのどちらも、出羽屋がずっと大切にしてきた形なのだと思う。

新しいスタッフも増え、今年の春は、また少し違う風が吹いている。