雪囲いが外れ、庭の木々にも少しずつ緑が戻りはじめると、
出羽屋にも春の匂いが満ちはじめる。
今年は雪どけも早く、山菜も例年にないほど急ぎ足だ。
毎日のように山から届く籠を見ながら、
そのスピードに頭も身体も追いつかず、
気持ちばかりが先へ急いでいく。
春はうれしい。
けれど、出羽屋の春は、いつも慌ただしい。
そんな季節のはじまりとともに、
今年も全国各地からアルバイトの子たちが来てくれた。
東京、京都、福岡。
それぞれ違う土地で暮らしてきた人たちが、
この小さな宿に集まり、一緒に働き、同じまかないを囲み、山へ入る。
ゴールデンウィークの真っ只中。
本当なら、少しでも長く眠っていたい朝だった。
それでも朝四時に起きて、みんなで山へ向かった。
まだ少し冷たい風の残る山の中を、
たらのめやこしあぶらを探して歩く。
「あった!」
「これですか?」
そんな声が飛び交う。
出羽屋にも春の匂いが満ちはじめる。
今年は雪どけも早く、山菜も例年にないほど急ぎ足だ。
毎日のように山から届く籠を見ながら、
そのスピードに頭も身体も追いつかず、
気持ちばかりが先へ急いでいく。
春はうれしい。
けれど、出羽屋の春は、いつも慌ただしい。
そんな季節のはじまりとともに、
今年も全国各地からアルバイトの子たちが来てくれた。
東京、京都、福岡。
それぞれ違う土地で暮らしてきた人たちが、
この小さな宿に集まり、一緒に働き、同じまかないを囲み、山へ入る。
ゴールデンウィークの真っ只中。
本当なら、少しでも長く眠っていたい朝だった。
それでも朝四時に起きて、みんなで山へ向かった。
まだ少し冷たい風の残る山の中を、
たらのめやこしあぶらを探して歩く。
「あった!」
「これですか?」
そんな声が飛び交う。
山菜初心者のみんなが、夢中になって山を歩く姿を見ていると、
不思議とこちらまで気持ちがほどけていく。
山菜料理として見る前に、まず山菜がどんな場所に生えているのかを知ること。
どんな雪を越え、どんな光を浴びて春を迎えるのかを知ること。
出羽屋では昔から、料理だけではなく、
山や暮らしそのものに触れることを大切にしてきた。
山菜の日に、ボランティアとして来てくれた東京の男の子がいる。
この二ヶ月のあいだに、もう三度も出羽屋へ足を運んでくれた。
以前、そっと置き手紙を残して帰った、あの子だ。
彼には、将来の明確な目標がある。
その目標に近づくために、「出羽屋をいろいろ感じたい」と話してくれた。
今回もまた、たくさんのことを感じて帰っていった。
きっと、そう遠くないうちに、またここへ帰ってくるのだろう。
こんなにも忙しい毎日なのに、
外からやって来る人たちの姿に、はっとさせられることがある。
ぼくたちは、どうありたいのか。
どこへ向かっているのか。
毎日必死に走っていると、つい見失いそうになるものを、
逆に外から来た人たちに教えられる。
出羽屋は、村であり、レストランでもある。
山の暮らしや手仕事を残したいと思う一方で、
極上の山菜料理を求めて、全国から足を運んでくださるお客さまもいる。
そのあいだで揺れることも、正直ある。
もっと研ぎ澄ませたほうがいいのではないか。
もっと効率よく、もっと洗練させたほうがいいのではないか。
そんなふうに思う日もある。
けれど、山を歩くみんなの背中を見ていると、
料理は厨房だけで生まれるものではないのだと、あらためて思う。
山の空気を吸い、土に触れ、季節の移ろいを身体で知ること。
その積み重ねの先に、料理がある。
村のような営みと、世界へ向かうレストラン。
きっとそのどちらも、出羽屋がずっと大切にしてきた形なのだと思う。
新しいスタッフも増え、今年の春は、また少し違う風が吹いている。
不思議とこちらまで気持ちがほどけていく。
山菜料理として見る前に、まず山菜がどんな場所に生えているのかを知ること。
どんな雪を越え、どんな光を浴びて春を迎えるのかを知ること。
出羽屋では昔から、料理だけではなく、
山や暮らしそのものに触れることを大切にしてきた。
山菜の日に、ボランティアとして来てくれた東京の男の子がいる。
この二ヶ月のあいだに、もう三度も出羽屋へ足を運んでくれた。
以前、そっと置き手紙を残して帰った、あの子だ。
彼には、将来の明確な目標がある。
その目標に近づくために、「出羽屋をいろいろ感じたい」と話してくれた。
今回もまた、たくさんのことを感じて帰っていった。
きっと、そう遠くないうちに、またここへ帰ってくるのだろう。
こんなにも忙しい毎日なのに、
外からやって来る人たちの姿に、はっとさせられることがある。
ぼくたちは、どうありたいのか。
どこへ向かっているのか。
毎日必死に走っていると、つい見失いそうになるものを、
逆に外から来た人たちに教えられる。
出羽屋は、村であり、レストランでもある。
山の暮らしや手仕事を残したいと思う一方で、
極上の山菜料理を求めて、全国から足を運んでくださるお客さまもいる。
そのあいだで揺れることも、正直ある。
もっと研ぎ澄ませたほうがいいのではないか。
もっと効率よく、もっと洗練させたほうがいいのではないか。
そんなふうに思う日もある。
けれど、山を歩くみんなの背中を見ていると、
料理は厨房だけで生まれるものではないのだと、あらためて思う。
山の空気を吸い、土に触れ、季節の移ろいを身体で知ること。
その積み重ねの先に、料理がある。
村のような営みと、世界へ向かうレストラン。
きっとそのどちらも、出羽屋がずっと大切にしてきた形なのだと思う。
新しいスタッフも増え、今年の春は、また少し違う風が吹いている。
