最上川の流れは、北へ、そして西へ。
金山町の木のまち並みを抜け、最上川下りを経て、日本海へ。
そこには、美と実用が調和した暮らし、そして陽気な庄内の風がありました。
* * * * * * * * * *
金山町の木のまち並みを抜け、最上川下りを経て、日本海へ。
そこには、美と実用が調和した暮らし、そして陽気な庄内の風がありました。
* * * * * * * * * *
【新庄盆地エリア】
新庄盆地エリア、ないし最上地方は、実はまだ一回しか行ったことがない。
真室川付近のコテージにBBQを目的として泊まった一回きりである。
印象に残っているのは金山町(山形県の最北部)に点在する金山住宅だ。
写真がないのが残念だが、気になる人は検索などしてぜひ見てほしい。
黒に近い焦げ茶色の杉板と、遠目には磁器にも似た漆喰塗の白壁の、幾何学的な美しさを特徴とする住宅が町のそこかしこにあり、統一的な景観を生み出している。(本当に町のどこにでもある。普通の家が金山住宅。)
本稿執筆にあたり調べてみたところ、かなりの歴史を有する街並みであるようだ。
1878年に羽州街道を旅してこの町に訪れたイギリス人旅行家イザベラバードがほめたたえた景観であるそうで、少なくとも150年以上の歴史のある街並みである。
完璧に保全され、そこに流れる時間の凍結された、テーマパークのような街並み(例えば金沢の茶屋街や飛騨の白川郷)は、それはそれで非日常の空間として貴重で素晴らしい、美しいものである。
あるいは戦後80年のスクラップ&ビルドの中で形成された、無思想な、決して美しくはない、しかし現実的で実用的な街並みも、実に戦後日本的であり悪くはない。
築50年の画一的な住宅から新築の画一的な住宅までが無秩序に生み出されモザイク状に広がった結果として、逆に画一性がなくなった、このありふれた日本の街並みも、私は嫌いではないのだ。
一方で、金山町の街並みは、それらのどちらとも違う。
金山町の街並みは暮らしの中で実用的にその美が保全されてきたものである。
まず、数十年に及ぶ自治体や町の企業、住民一丸の膨大かつたゆまない努力があった。
その努力は、高度経済成長まっさかりの1963年に当時の金山町長が「全町美化運動」を掲げ、歴史ある金山杉を活用した街並みの保全を進めたことに源流さかのぼるという。
その後、「街並み景観づくり100年運動」(1983年)や「全町公園化構想」(1992年)と名前を変えながらも、60年以上にわたり継続され今に至っている。
加えて、金山式住宅自体が、この土地の風土に合って実用的であったからこそ維持できたのであるという。
盆地ゆえに夏は高温多湿になる一方、冬は一転豪雪地帯となる、そんな金山町の気候風土に適した建築形態であったのだという。(山形県金山町HP“金山住宅とは?”より)
つまるところ、一方には新陳代謝/スクラップ&ビルドによって実用性/経済合理性を志向する動的な日常(あるいは我が国の国民性)がある。
もう一方には、それに抗い美しい景観を維持しようとする理想主義的な抵抗が存在する。
前者が勝てば、ありふれた日本の街並みになるし、後者が勝てば非日常の歴史的な街並みが残る。
ところが、金山住宅というものは、そのコンセプトにおいて、おおむね時代を超えて美しく、時代を超えて実用的であった。
金山住宅のもつ、美と実用の奇跡的な普遍性、調和ゆえに、 “生きられている”伝統的な街並み(あるいは歴史的連続性を持った街並み)が今も金山町にはあるのである。
美しい景観の中で、おそらくはだれも過度に無理することなく日常の時間が流れているということ。それはここ日本においては(もしかしたら世界においても)まことに貴重なものである。
もっと知られてほしい、しかし知られることで人が押し寄せてその美や地域の努力が損なわれることはあってほしくない、そんなアンビバレントな感情が私の中にはある。
さて、そんな新庄盆地エリアであるが、金山町の他にも、最上峡や最上川下り、瀬見温泉など訪れた居場所が目白押しだ。
私個人としても次回以降ゆっくりと見て回りたいと考えている。
【庄内平野エリア】
最上川は、真室川や鮭川といった支流を集めながら新庄盆地を通り抜け、日本海に流れ込む。その河口域に形成された平野が庄内平野である。
2024年の夏、私は山形駅で仲間にした「わ」ナンバーのホンダFITを駆って山形を北上縦断、新庄からは最上川に沿って西へ西へ庄内へと向かっていた。
新庄市街から、左右を山に挟まれた鶴岡街道を抜け、庄内平野に差し掛かったとき、それまでとガラリと空気、というか雰囲気が変わったのを感じた。
思うに、空間構造が違う。
米沢盆地、山形盆地、新庄盆地は盆地である。盆地ゆえに、そのすべてが四方を出羽山脈と奥羽山脈に囲まれた高低差のある空間である。
対して、庄内平野は平野である。日本海に向かって平らに開けた空間である。
また、植生が内陸部と庄内平野ではやや異なる。
ブナやスギ、ヒノキの目立つ内陸部に対して、庄内平野ではことさらにクロマツが目についた。
マツは、南は九州から北は青森まで幅広く分布している樹木である。が、個人的には不思議と西日本的な樹木という印象を持っている。
西日本に“松”のつく地名が多いように思われるのと(松山、高松など。実際は東日本にも松本、松戸などたくさんあるのだが…)、加えてその昔、東京から瀬戸内海~四国までバイクで旅した時に、特に瀬戸内海で松を多く見かけたという、ごく個人的な経験に由来している。
かように、海に向かって開けた空間構造、クロマツの林、酒田港がかつて北前船の一大拠点であったという歴史的文脈から、どこか庄内平野には西日本的な陽気さや洗練がある、ようにおもう。
さて、そんな庄内平野を、最上川から離れて少し北上していくとすぐに鳥海山が見えてくる。
平野からにょきにょきと隆起したようにそそり立っている。
連峰ではなく富士山のような単独峰にみえるが、実際は出羽山脈の一部らしい。
国道345号を鳥海山めがけてまっすぐ走っていくと、やがてその山のふもとから、鳥海ブルーラインに入ることができる。
この道は山形でも屈指のワインディングロード。
やまがた庄内観光サイトの鳥海ブルーラインの項には「海抜ゼロから一気に標高1,100mまで鳥海山の新緑、紅葉、景色を楽しむ観光山岳道路」とある。
「海抜ゼロから一気に標高1,100m」の勢いのいい文句はなんとも魅力的であるが、それに恥じぬなかなかの急こう配で、行きはよいよい帰りはこわい型のワインディングロードである。
国道345号を走り抜け、左手間近に見える日本海に背を向けるように右折、鳥海ブルーラインに入る。
「一気に行くぞ標高1,100m」と意気込む私をよそに、「わ」ナンバーのホンダFITが誇る素晴らしい118馬力エンジンは、この急こう配をよじ登るには少々パワー不足。
結局私は「海抜ゼロから徐々に標高1,100m」へ向かっていくことになる。
どうせなら一番高いところまで登ってやろう、と私が目指したのは標高1,100m地点にある鉾立展望台なる場所であった。
途中、標高1,000m地点の太平展望台から、庄内平野を一望した。
深い青の日本海が見えた。また、夏の水田がずっとさきまで広がっているのが見えた。遠くのゲリラ豪雨らしき雲雨も見えた。
あの日本海を北前船がはるか蝦夷から昆布を携えやってきて酒田港を賑わせたのだろうか、あの平野は日本一の大地主と呼ばれた酒田本間氏のかつて所有していたものなのだろうかとおもうと、空間的な広がりだけではなく時間的な広がりをも感じることができ、大満足した私は鉾立展望台に行かずに下山することにした。
そして向かったのはふもとにある「道の駅鳥海ふらっと」。
ここではその場で剥きたての天然岩ガキをほおばることができるのでおすすめだ。
新庄盆地エリア、ないし最上地方は、実はまだ一回しか行ったことがない。
真室川付近のコテージにBBQを目的として泊まった一回きりである。
印象に残っているのは金山町(山形県の最北部)に点在する金山住宅だ。
写真がないのが残念だが、気になる人は検索などしてぜひ見てほしい。
黒に近い焦げ茶色の杉板と、遠目には磁器にも似た漆喰塗の白壁の、幾何学的な美しさを特徴とする住宅が町のそこかしこにあり、統一的な景観を生み出している。(本当に町のどこにでもある。普通の家が金山住宅。)
本稿執筆にあたり調べてみたところ、かなりの歴史を有する街並みであるようだ。
1878年に羽州街道を旅してこの町に訪れたイギリス人旅行家イザベラバードがほめたたえた景観であるそうで、少なくとも150年以上の歴史のある街並みである。
完璧に保全され、そこに流れる時間の凍結された、テーマパークのような街並み(例えば金沢の茶屋街や飛騨の白川郷)は、それはそれで非日常の空間として貴重で素晴らしい、美しいものである。
あるいは戦後80年のスクラップ&ビルドの中で形成された、無思想な、決して美しくはない、しかし現実的で実用的な街並みも、実に戦後日本的であり悪くはない。
築50年の画一的な住宅から新築の画一的な住宅までが無秩序に生み出されモザイク状に広がった結果として、逆に画一性がなくなった、このありふれた日本の街並みも、私は嫌いではないのだ。
一方で、金山町の街並みは、それらのどちらとも違う。
金山町の街並みは暮らしの中で実用的にその美が保全されてきたものである。
まず、数十年に及ぶ自治体や町の企業、住民一丸の膨大かつたゆまない努力があった。
その努力は、高度経済成長まっさかりの1963年に当時の金山町長が「全町美化運動」を掲げ、歴史ある金山杉を活用した街並みの保全を進めたことに源流さかのぼるという。
その後、「街並み景観づくり100年運動」(1983年)や「全町公園化構想」(1992年)と名前を変えながらも、60年以上にわたり継続され今に至っている。
加えて、金山式住宅自体が、この土地の風土に合って実用的であったからこそ維持できたのであるという。
盆地ゆえに夏は高温多湿になる一方、冬は一転豪雪地帯となる、そんな金山町の気候風土に適した建築形態であったのだという。(山形県金山町HP“金山住宅とは?”より)
つまるところ、一方には新陳代謝/スクラップ&ビルドによって実用性/経済合理性を志向する動的な日常(あるいは我が国の国民性)がある。
もう一方には、それに抗い美しい景観を維持しようとする理想主義的な抵抗が存在する。
前者が勝てば、ありふれた日本の街並みになるし、後者が勝てば非日常の歴史的な街並みが残る。
ところが、金山住宅というものは、そのコンセプトにおいて、おおむね時代を超えて美しく、時代を超えて実用的であった。
金山住宅のもつ、美と実用の奇跡的な普遍性、調和ゆえに、 “生きられている”伝統的な街並み(あるいは歴史的連続性を持った街並み)が今も金山町にはあるのである。
美しい景観の中で、おそらくはだれも過度に無理することなく日常の時間が流れているということ。それはここ日本においては(もしかしたら世界においても)まことに貴重なものである。
もっと知られてほしい、しかし知られることで人が押し寄せてその美や地域の努力が損なわれることはあってほしくない、そんなアンビバレントな感情が私の中にはある。
さて、そんな新庄盆地エリアであるが、金山町の他にも、最上峡や最上川下り、瀬見温泉など訪れた居場所が目白押しだ。
私個人としても次回以降ゆっくりと見て回りたいと考えている。
【庄内平野エリア】
最上川は、真室川や鮭川といった支流を集めながら新庄盆地を通り抜け、日本海に流れ込む。その河口域に形成された平野が庄内平野である。
2024年の夏、私は山形駅で仲間にした「わ」ナンバーのホンダFITを駆って山形を北上縦断、新庄からは最上川に沿って西へ西へ庄内へと向かっていた。
新庄市街から、左右を山に挟まれた鶴岡街道を抜け、庄内平野に差し掛かったとき、それまでとガラリと空気、というか雰囲気が変わったのを感じた。
思うに、空間構造が違う。
米沢盆地、山形盆地、新庄盆地は盆地である。盆地ゆえに、そのすべてが四方を出羽山脈と奥羽山脈に囲まれた高低差のある空間である。
対して、庄内平野は平野である。日本海に向かって平らに開けた空間である。
また、植生が内陸部と庄内平野ではやや異なる。
ブナやスギ、ヒノキの目立つ内陸部に対して、庄内平野ではことさらにクロマツが目についた。
マツは、南は九州から北は青森まで幅広く分布している樹木である。が、個人的には不思議と西日本的な樹木という印象を持っている。
西日本に“松”のつく地名が多いように思われるのと(松山、高松など。実際は東日本にも松本、松戸などたくさんあるのだが…)、加えてその昔、東京から瀬戸内海~四国までバイクで旅した時に、特に瀬戸内海で松を多く見かけたという、ごく個人的な経験に由来している。
かように、海に向かって開けた空間構造、クロマツの林、酒田港がかつて北前船の一大拠点であったという歴史的文脈から、どこか庄内平野には西日本的な陽気さや洗練がある、ようにおもう。
さて、そんな庄内平野を、最上川から離れて少し北上していくとすぐに鳥海山が見えてくる。
平野からにょきにょきと隆起したようにそそり立っている。
連峰ではなく富士山のような単独峰にみえるが、実際は出羽山脈の一部らしい。
国道345号を鳥海山めがけてまっすぐ走っていくと、やがてその山のふもとから、鳥海ブルーラインに入ることができる。
この道は山形でも屈指のワインディングロード。
やまがた庄内観光サイトの鳥海ブルーラインの項には「海抜ゼロから一気に標高1,100mまで鳥海山の新緑、紅葉、景色を楽しむ観光山岳道路」とある。
「海抜ゼロから一気に標高1,100m」の勢いのいい文句はなんとも魅力的であるが、それに恥じぬなかなかの急こう配で、行きはよいよい帰りはこわい型のワインディングロードである。
国道345号を走り抜け、左手間近に見える日本海に背を向けるように右折、鳥海ブルーラインに入る。
「一気に行くぞ標高1,100m」と意気込む私をよそに、「わ」ナンバーのホンダFITが誇る素晴らしい118馬力エンジンは、この急こう配をよじ登るには少々パワー不足。
結局私は「海抜ゼロから徐々に標高1,100m」へ向かっていくことになる。
どうせなら一番高いところまで登ってやろう、と私が目指したのは標高1,100m地点にある鉾立展望台なる場所であった。
途中、標高1,000m地点の太平展望台から、庄内平野を一望した。
深い青の日本海が見えた。また、夏の水田がずっとさきまで広がっているのが見えた。遠くのゲリラ豪雨らしき雲雨も見えた。
あの日本海を北前船がはるか蝦夷から昆布を携えやってきて酒田港を賑わせたのだろうか、あの平野は日本一の大地主と呼ばれた酒田本間氏のかつて所有していたものなのだろうかとおもうと、空間的な広がりだけではなく時間的な広がりをも感じることができ、大満足した私は鉾立展望台に行かずに下山することにした。
そして向かったのはふもとにある「道の駅鳥海ふらっと」。
ここではその場で剥きたての天然岩ガキをほおばることができるのでおすすめだ。
庄内エリアも市街地はまだ訪問できていない。各種の史跡、博物館や観光スポットがあると聞くので、ぜひ次回以降に訪問してみたいところである。
【結びにかえて】
書く前は、何を書いたものかなと思案していたが、いざ机に向かいキーボードをたたき始めるとすらすらと書きたいことが出てくるものである。
書き始める前は無難に主要な観光スポットや鳥そばなどの定番グルメを紹介しようと思っていたのに、書いているうちにクラッピン寒河江、金山住宅、庄内のクロマツ林の文量が増えるという不思議な結果となった。
……いや、案外、旅をしていていちばんに印象に残るのは行こうと思ってたどり着いた定番観光スポットよりも、偶然に発見した何かであったりするものだ。
思うにこの偶然性こそが、非日常の旅と日常の通勤を分けるものなのであり、我々は偶然を求めて旅に出るのだと考えれば、なるほど、私の旅行記がクラッピン寒河江と金山住宅と庄内のクロマツ林に占拠されるのも当然の結果だったのかもしれない。
ほかにも、山形に関連するおすすめ書籍の紹介など、書いてみたいなと思ったテーマはいくつかある。また機会をいただけるようであれば、山ノオトに書いてみたいものである。
*
【結びにかえて】
書く前は、何を書いたものかなと思案していたが、いざ机に向かいキーボードをたたき始めるとすらすらと書きたいことが出てくるものである。
書き始める前は無難に主要な観光スポットや鳥そばなどの定番グルメを紹介しようと思っていたのに、書いているうちにクラッピン寒河江、金山住宅、庄内のクロマツ林の文量が増えるという不思議な結果となった。
……いや、案外、旅をしていていちばんに印象に残るのは行こうと思ってたどり着いた定番観光スポットよりも、偶然に発見した何かであったりするものだ。
思うにこの偶然性こそが、非日常の旅と日常の通勤を分けるものなのであり、我々は偶然を求めて旅に出るのだと考えれば、なるほど、私の旅行記がクラッピン寒河江と金山住宅と庄内のクロマツ林に占拠されるのも当然の結果だったのかもしれない。
ほかにも、山形に関連するおすすめ書籍の紹介など、書いてみたいなと思ったテーマはいくつかある。また機会をいただけるようであれば、山ノオトに書いてみたいものである。
*
