ぼくたちはレストランをつくりたいのだろうか。
出羽屋のこれからを語るたび、女将と何度も立ち返った問いだった。
山の幸を使った高級レストラン。
もちろん、それもひとつの道ではある。
けれど、ぼくらが心から目指したい場所は、そこじゃなかった。
朝早くから山に入り、手間ひまかけて食材を届けてくれる山の人たち。
受け取ったその恵みを、出羽屋のみんなでどう料理にするかを考え、形にしていく。
季節の移ろいを心待ちにして、全国から訪れてくださるお客様に、
山の時間ごと、そっとおふるまいする。
それが出羽屋の山菜料理の始まりであり、これからも変わらない核心なのだと思う。
この春、出羽屋はひとつの新しい試みとしてアプリをつくった。
ただの便利なツールではない。
これは、つながりのある人たちとともに編んでいく「出羽屋村」のはじまりでもある。
モノ、コト、ヒト、トキ、そしてイミ。
山の恵みを通して出羽屋が大切にしてきたものを、
離れていても感じてもらえるような、
そんなあたらしい村を、そっと開くつもりだ。
なぜ、ひとつの料理屋がそこまでするのか。
料理だけをつくっていればいいのでは、と言われるかもしれない。
けれど今、山は変わりつつある。
気候の変化、採り手の高齢化、集落の人口減少。
数字ばかりが減ってゆくその場所に、子どもたちは未来を見つけられるのだろうか。
大人たちの表情が曇ったままで、次の世代に何が残せるのだろうか。
きのう、長男が「野菜を切ってみたい」と言ってくれた。
いっしょに晩ごはんを作った。
はじめはおそるおそるだった包丁さばきも、
「ひとりでやってみたい」と言って、炒めものまで任せてみた。
夢中でフライパンをふる姿を見ながら、聞いてみた。
「料理、楽しい?」
「うん、楽しい」
ぼくが子どものころ、出羽屋はこんなに楽しい場所だっただろうか。
正直、小学校の時に見ていた景色は、明るいものではなかった。
けれど今、出羽屋には笑顔がある。
だから、子どもたちも「出羽屋に行きたい」と言ってくれる。
料理を作ること。
人とつながること。
日々を重ねていくこと。
この春、出羽屋村は静かに、小さな一歩を踏み出した。
好きな人たちと、ともにつくっていける場所へと。
出羽屋のこれからを語るたび、女将と何度も立ち返った問いだった。
山の幸を使った高級レストラン。
もちろん、それもひとつの道ではある。
けれど、ぼくらが心から目指したい場所は、そこじゃなかった。
朝早くから山に入り、手間ひまかけて食材を届けてくれる山の人たち。
受け取ったその恵みを、出羽屋のみんなでどう料理にするかを考え、形にしていく。
季節の移ろいを心待ちにして、全国から訪れてくださるお客様に、
山の時間ごと、そっとおふるまいする。
それが出羽屋の山菜料理の始まりであり、これからも変わらない核心なのだと思う。
この春、出羽屋はひとつの新しい試みとしてアプリをつくった。
ただの便利なツールではない。
これは、つながりのある人たちとともに編んでいく「出羽屋村」のはじまりでもある。
モノ、コト、ヒト、トキ、そしてイミ。
山の恵みを通して出羽屋が大切にしてきたものを、
離れていても感じてもらえるような、
そんなあたらしい村を、そっと開くつもりだ。
なぜ、ひとつの料理屋がそこまでするのか。
料理だけをつくっていればいいのでは、と言われるかもしれない。
けれど今、山は変わりつつある。
気候の変化、採り手の高齢化、集落の人口減少。
数字ばかりが減ってゆくその場所に、子どもたちは未来を見つけられるのだろうか。
大人たちの表情が曇ったままで、次の世代に何が残せるのだろうか。
きのう、長男が「野菜を切ってみたい」と言ってくれた。
いっしょに晩ごはんを作った。
はじめはおそるおそるだった包丁さばきも、
「ひとりでやってみたい」と言って、炒めものまで任せてみた。
夢中でフライパンをふる姿を見ながら、聞いてみた。
「料理、楽しい?」
「うん、楽しい」
ぼくが子どものころ、出羽屋はこんなに楽しい場所だっただろうか。
正直、小学校の時に見ていた景色は、明るいものではなかった。
けれど今、出羽屋には笑顔がある。
だから、子どもたちも「出羽屋に行きたい」と言ってくれる。
料理を作ること。
人とつながること。
日々を重ねていくこと。
この春、出羽屋村は静かに、小さな一歩を踏み出した。
好きな人たちと、ともにつくっていける場所へと。