山菜料理 出羽屋

ぼくらが作る「出羽屋村」というかたち

山ノオト

2025.04.01

ぼくたちはレストランをつくりたいのだろうか。
出羽屋のこれからを語るたび、女将と何度も立ち返った問いだった。

山の幸を使った高級レストラン。


もちろん、それもひとつの道ではある。
けれど、ぼくらが心から目指したい場所は、そこじゃなかった。

朝早くから山に入り、手間ひまかけて食材を届けてくれる山の人たち。
受け取ったその恵みを、出羽屋のみんなでどう料理にするかを考え、形にしていく。
季節の移ろいを心待ちにして、全国から訪れてくださるお客様に、
山の時間ごと、そっとおふるまいする。
それが出羽屋の山菜料理の始まりであり、これからも変わらない核心なのだと思う。

この春、出羽屋はひとつの新しい試みとしてアプリをつくった。

ただの便利なツールではない。
これは、つながりのある人たちとともに編んでいく「出羽屋村」のはじまりでもある。
モノ、コト、ヒト、トキ、そしてイミ。
山の恵みを通して出羽屋が大切にしてきたものを、
離れていても感じてもらえるような、
そんなあたらしい村を、そっと開くつもりだ。

なぜ、ひとつの料理屋がそこまでするのか。
料理だけをつくっていればいいのでは、と言われるかもしれない。

けれど今、山は変わりつつある。
気候の変化、採り手の高齢化、集落の人口減少。
数字ばかりが減ってゆくその場所に、子どもたちは未来を見つけられるのだろうか。
大人たちの表情が曇ったままで、次の世代に何が残せるのだろうか。

きのう、長男が「野菜を切ってみたい」と言ってくれた。
いっしょに晩ごはんを作った。
はじめはおそるおそるだった包丁さばきも、
「ひとりでやってみたい」と言って、炒めものまで任せてみた。
夢中でフライパンをふる姿を見ながら、聞いてみた。
「料理、楽しい?」
「うん、楽しい」

ぼくが子どものころ、出羽屋はこんなに楽しい場所だっただろうか。
正直、小学校の時に見ていた景色は、明るいものではなかった。
けれど今、出羽屋には笑顔がある。
だから、子どもたちも「出羽屋に行きたい」と言ってくれる。

料理を作ること。
人とつながること。
日々を重ねていくこと。

この春、出羽屋村は静かに、小さな一歩を踏み出した。
好きな人たちと、ともにつくっていける場所へと。