毎日、山からは何十キロものきのこが届きます。
多い日には三〇キロ、五〇キロにもなることも。
いろんなきのこ名人が、出羽屋のためにと、山道をのぼり、くだり、ひとつひとつの形をくずさぬよう、そっと抱えて運んできてくださいます。
でも、きのこはそのまま鍋に入れられるわけではありません。
軸を切り、掃除をし(虫や枯れ葉がたくさんついている)、ようやく料理に使えるようになるのです。
今日は、もだしとなめこが山のように届きました。
下流しに腰をおろし、水の音を聞きながら、黙々と手を動かす。
難しいことは考えず、ただひたすらに。
指先の感触で、秋が深まっていくのがわかるような気がします。
なめこのぬめりの向こうに、朝の霧や、名人の手のぬくもりがまだ残っているようで。
わたしは、そんな時間がとても好きです。
何も語らず、ただ山の恵みに向き合う時間。
人の手と、山の力が、静かにひとつになっていく。
今日も、出羽屋の午後は穏やかに流れています。
多い日には三〇キロ、五〇キロにもなることも。
いろんなきのこ名人が、出羽屋のためにと、山道をのぼり、くだり、ひとつひとつの形をくずさぬよう、そっと抱えて運んできてくださいます。
でも、きのこはそのまま鍋に入れられるわけではありません。
軸を切り、掃除をし(虫や枯れ葉がたくさんついている)、ようやく料理に使えるようになるのです。
今日は、もだしとなめこが山のように届きました。
下流しに腰をおろし、水の音を聞きながら、黙々と手を動かす。
難しいことは考えず、ただひたすらに。
指先の感触で、秋が深まっていくのがわかるような気がします。
なめこのぬめりの向こうに、朝の霧や、名人の手のぬくもりがまだ残っているようで。
わたしは、そんな時間がとても好きです。
何も語らず、ただ山の恵みに向き合う時間。
人の手と、山の力が、静かにひとつになっていく。
今日も、出羽屋の午後は穏やかに流れています。
