山ノオトを綴りはじめたころ、
ぼくは「出羽屋村」というひとつの言葉を出した。
そうしたら、シェフズテーブルに来てくださったお客さまに
「出羽屋村って、どんな村なの?」と聞かれた。
でも、そのときのぼくは、恥ずかしいくらい、うまく言葉にできなかった。
頭のなかではなんとなく描けているものが、
いざ言葉にしようとすると、どうもうまくつながらなかったのだ。
だから、今このタイミングで
「出羽屋村」というものについて、
ぼくたちが何を想い、何をつくりたいのか。
もう一度考え、そしてきちんと言葉にしてみようと思う。
*
ぼくたちが「出羽屋村」という風景を描きはじめたのは、
たしか五年ほど前。
ちょうど世の中がコロナでざわついていたころだった。
あのときは、人と会うことも、出かけることも、
当たり前のようにできなくなっていた。
「接触を避けて」とか「営業を自粛して」とか、
そんな言葉が毎日のように流れていた。
人口密度がたった十人のこの町でも、状況は同じだった。
お客さまが来ないから、宿の売上は立たない。
でも、時間だけはたっぷりあった。
毎日することもそんなになかったから、
地域のおじいちゃんの畑に遊びにいったり
友だちと集まって山菜を採りに出かけたりしていた。
それが、ぼくにはとても心地がよかった。
畑に行けば、「ほれ、これ持ってけ」と野菜を託され、
そのお礼にぼくたちが山菜を渡す。
友だちがぼくたちの仕事を手伝ってくれたら、
そのお礼にさっきの野菜をおすそわけする。
そんなふうに、貨幣ではない、別のもので地域を循環させていた。
だれもが先の見えない不安のなかで、
そんな小さなやりとりが、まるで灯りのようにあたたかかった。
つながる、分け合う、分かち合うというだけで
人はこんなにも救われるんだと、そのとき改めて知った。
そして、気がつけばその時間のなかに、
出羽屋の原点があるように思えた。
お金を介さないところにこそ、
本当の豊かさがあるのではないかと。
だから、宿が休んでいるあいだも、
ぼくたちは生産者さんの野菜や山菜をあずかって、
小さな箱に詰めて送ることにした。
「山の宅配便」と名づけて。
あの春、まだ雪の残る月山のふもとで、
出羽屋村の小さな種がまかれたのだと思う。
*
出羽屋村が目指す“村”は、
特別なものではない。
日本のあちこちに、もうすでにある。
たとえば、函館。
農楽蔵さんやコルツさん、工房塒(ねぐら)さんにnonomamaさん…。
挙げればキリがないほど、
それぞれが自分の土地で、誠実にものづくりをしている。
この春、ぼくたちが函館を訪ねたとき、
みんながまるで古い友人を迎えるように、温かく出迎えてくれた。
その空気のやわらかさに、心がほどけたのを覚えている。
ぼくたちが想う“村”の姿は、まさにそこにあった。
肩書きも立場も越えて、
その土地を大切に思うと気持ちでつながっている人たち。
ゆるやかで、でもちゃんと支え合っている関係。
宮城の川崎町にも、そんな風景がある。
アルフィオーレさんやたけし豚さん、クッキーガールさん。
それぞれが自分の場所で、自分らしい仕事をしながら、
お互いを思い合うあの空気感が、ぼくはたまらなく好きだ。
出羽屋村も、そんな“心の村”のひとつでありたい。
ひとつの場所に閉じこもるのではなく、
あちこちに灯る小さな灯りと、ゆるやかにつながっていたい。
*
月山の冬は長い。
十一月にもなれば、庭の雪囲いが見事なまでに立てかけられ、
家の中が少しだけ重さをもつ。
湯気の向こうでは、鍋がことことと静かに音を立て
炭のはぜる音と、味噌や醤油の香りが館内に広がっていく。
冬の出羽屋は、ぬくもりに満ちている。
この土地で生きるというのは、
厳しさの中にやさしさを見つけること。
雪の下では、春を待つ芽が静かに息づいている。
“見えないけれど、そこにある。”
ぼくたちも、そんな風に宿を続けてきた。
ある日、taro農場の細谷さんがにんじんを届けてくれた。
「今年は小ぶりだけど、味はいいよ」と、はにかむ顔には
畑の風と太陽の色がにじんでいた。
ぼくはすぐに厨房に立って、
皮をむきながら、指先に残る土のあたたかさを感じていた。
湯気の中から立ちのぼる香りに、
ぼくたちはその人の暮らしを感じる。
“おいしい”という言葉の中には、
山の恵みと、人の時間が静かに流れている。
山菜を採る人、器を焼く人、料理をする人、
それを味わう人。
誰かひとりが欠けても、この“おいしい”は生まれない。
だから出羽屋の料理は、
「手の届かない自然」ではなく、
「手と手のあいだにある自然」を見つめている。
*
出羽屋という宿は、
この百年のあいだ「旅人を迎える場所」であり続けてきた。
だけど、いまはその枠を少し越えている。
たとえば「山ノオト」。
それは、出羽屋の日々や人との出会いを綴る小さな日記のような存在だ。
お客さまがページをめくると、
厨房の音や、森を渡る風が感じられる。
読むことで、心の中に“出羽屋村”の景色が広がるような工夫をしている。
「山の宅配便」もまた、その延長にある。
山菜やきのこをたっぷりと包んで、
遠くに住むまだ見ぬ“村人”へ届ける。
箱を開けたとき、山の香りとともに
“どうぞ”というあたたかな風が届けばいいなと思っている。
宿に泊まるだけが出羽屋ではない。
関わるすべての人が、どこにいても“村の一員”でいられるように。
それが、ぼくたちの願いだ。
「出羽屋村」には、いろんな人がいる。
調理場のスタッフ、事務を支えるスタッフ、
花を生けるスタッフ、営繕さんや水守さん。
写真を撮る青山くんに、デザイナーの中嶌さん。
農家の細谷さんにお日さま農園の西尾さん、
ジーラジーラさんやプルピエさん、
ひつじやさん、そして源八さん。
みんな、この村の村人たちだ。
そしてもう少し外には、音楽家の玄さんとゆにさんや
陶芸家の松浦さんに田村さん、マエムキさんだっている。
一つひとつの出会いが、出羽屋の世界を豊かにしてくれた。
旅人が訪れ、アーティストが滞在し、
誰かがまた次の誰かを連れてくる。
その循環の中で、宿は“文化の交差点”のようになってきた。
“村”は建物ではなく、人の記憶でできている。
それぞれが誰かの記憶の中に出羽屋を持っている。
それが、いちばんの財産だ。
ぼくは「出羽屋村」というひとつの言葉を出した。
そうしたら、シェフズテーブルに来てくださったお客さまに
「出羽屋村って、どんな村なの?」と聞かれた。
でも、そのときのぼくは、恥ずかしいくらい、うまく言葉にできなかった。
頭のなかではなんとなく描けているものが、
いざ言葉にしようとすると、どうもうまくつながらなかったのだ。
だから、今このタイミングで
「出羽屋村」というものについて、
ぼくたちが何を想い、何をつくりたいのか。
もう一度考え、そしてきちんと言葉にしてみようと思う。
*
ぼくたちが「出羽屋村」という風景を描きはじめたのは、
たしか五年ほど前。
ちょうど世の中がコロナでざわついていたころだった。
あのときは、人と会うことも、出かけることも、
当たり前のようにできなくなっていた。
「接触を避けて」とか「営業を自粛して」とか、
そんな言葉が毎日のように流れていた。
人口密度がたった十人のこの町でも、状況は同じだった。
お客さまが来ないから、宿の売上は立たない。
でも、時間だけはたっぷりあった。
毎日することもそんなになかったから、
地域のおじいちゃんの畑に遊びにいったり
友だちと集まって山菜を採りに出かけたりしていた。
それが、ぼくにはとても心地がよかった。
畑に行けば、「ほれ、これ持ってけ」と野菜を託され、
そのお礼にぼくたちが山菜を渡す。
友だちがぼくたちの仕事を手伝ってくれたら、
そのお礼にさっきの野菜をおすそわけする。
そんなふうに、貨幣ではない、別のもので地域を循環させていた。
だれもが先の見えない不安のなかで、
そんな小さなやりとりが、まるで灯りのようにあたたかかった。
つながる、分け合う、分かち合うというだけで
人はこんなにも救われるんだと、そのとき改めて知った。
そして、気がつけばその時間のなかに、
出羽屋の原点があるように思えた。
お金を介さないところにこそ、
本当の豊かさがあるのではないかと。
だから、宿が休んでいるあいだも、
ぼくたちは生産者さんの野菜や山菜をあずかって、
小さな箱に詰めて送ることにした。
「山の宅配便」と名づけて。
あの春、まだ雪の残る月山のふもとで、
出羽屋村の小さな種がまかれたのだと思う。
*
出羽屋村が目指す“村”は、
特別なものではない。
日本のあちこちに、もうすでにある。
たとえば、函館。
農楽蔵さんやコルツさん、工房塒(ねぐら)さんにnonomamaさん…。
挙げればキリがないほど、
それぞれが自分の土地で、誠実にものづくりをしている。
この春、ぼくたちが函館を訪ねたとき、
みんながまるで古い友人を迎えるように、温かく出迎えてくれた。
その空気のやわらかさに、心がほどけたのを覚えている。
ぼくたちが想う“村”の姿は、まさにそこにあった。
肩書きも立場も越えて、
その土地を大切に思うと気持ちでつながっている人たち。
ゆるやかで、でもちゃんと支え合っている関係。
宮城の川崎町にも、そんな風景がある。
アルフィオーレさんやたけし豚さん、クッキーガールさん。
それぞれが自分の場所で、自分らしい仕事をしながら、
お互いを思い合うあの空気感が、ぼくはたまらなく好きだ。
出羽屋村も、そんな“心の村”のひとつでありたい。
ひとつの場所に閉じこもるのではなく、
あちこちに灯る小さな灯りと、ゆるやかにつながっていたい。
*
月山の冬は長い。
十一月にもなれば、庭の雪囲いが見事なまでに立てかけられ、
家の中が少しだけ重さをもつ。
湯気の向こうでは、鍋がことことと静かに音を立て
炭のはぜる音と、味噌や醤油の香りが館内に広がっていく。
冬の出羽屋は、ぬくもりに満ちている。
この土地で生きるというのは、
厳しさの中にやさしさを見つけること。
雪の下では、春を待つ芽が静かに息づいている。
“見えないけれど、そこにある。”
ぼくたちも、そんな風に宿を続けてきた。
ある日、taro農場の細谷さんがにんじんを届けてくれた。
「今年は小ぶりだけど、味はいいよ」と、はにかむ顔には
畑の風と太陽の色がにじんでいた。
ぼくはすぐに厨房に立って、
皮をむきながら、指先に残る土のあたたかさを感じていた。
湯気の中から立ちのぼる香りに、
ぼくたちはその人の暮らしを感じる。
“おいしい”という言葉の中には、
山の恵みと、人の時間が静かに流れている。
山菜を採る人、器を焼く人、料理をする人、
それを味わう人。
誰かひとりが欠けても、この“おいしい”は生まれない。
だから出羽屋の料理は、
「手の届かない自然」ではなく、
「手と手のあいだにある自然」を見つめている。
*
出羽屋という宿は、
この百年のあいだ「旅人を迎える場所」であり続けてきた。
だけど、いまはその枠を少し越えている。
たとえば「山ノオト」。
それは、出羽屋の日々や人との出会いを綴る小さな日記のような存在だ。
お客さまがページをめくると、
厨房の音や、森を渡る風が感じられる。
読むことで、心の中に“出羽屋村”の景色が広がるような工夫をしている。
「山の宅配便」もまた、その延長にある。
山菜やきのこをたっぷりと包んで、
遠くに住むまだ見ぬ“村人”へ届ける。
箱を開けたとき、山の香りとともに
“どうぞ”というあたたかな風が届けばいいなと思っている。
宿に泊まるだけが出羽屋ではない。
関わるすべての人が、どこにいても“村の一員”でいられるように。
それが、ぼくたちの願いだ。
「出羽屋村」には、いろんな人がいる。
調理場のスタッフ、事務を支えるスタッフ、
花を生けるスタッフ、営繕さんや水守さん。
写真を撮る青山くんに、デザイナーの中嶌さん。
農家の細谷さんにお日さま農園の西尾さん、
ジーラジーラさんやプルピエさん、
ひつじやさん、そして源八さん。
みんな、この村の村人たちだ。
そしてもう少し外には、音楽家の玄さんとゆにさんや
陶芸家の松浦さんに田村さん、マエムキさんだっている。
一つひとつの出会いが、出羽屋の世界を豊かにしてくれた。
旅人が訪れ、アーティストが滞在し、
誰かがまた次の誰かを連れてくる。
その循環の中で、宿は“文化の交差点”のようになってきた。
“村”は建物ではなく、人の記憶でできている。
それぞれが誰かの記憶の中に出羽屋を持っている。
それが、いちばんの財産だ。
秋のはじまり、
厨房の隅できのこの下ごしらえをしていると、
子どもたちが「てつだうー」と言ってやってきた。
長男がなめこのじくを切りながら
「これ、山のにおいがするね」と笑った。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
この子たちが大人になるころ、
出羽屋はどんな姿であればいいのだろう。
便利さも効率も大事だけれど、
それだけじゃない何かを残したい。
人と自然が寄り添って生きる知恵。
誰かと食卓を囲んで「おいしいね」と言い合える時間。
そんな風景が、この先も続いていきますように。
子どもたちには、この村の風景を五感で覚えていてほしい。
山菜の香り、囲炉裏のぬくもり、初夏の沢の冷たさ。
それらがきっと、人生のどこかで
“帰る場所”になってくれると信じている。
だからぼくたちは、今日もこの場所で、
変わらない手仕事を続けている。
出羽屋村は、地図にはない。
けれど、確かにここにある。
それは、料理の香りに宿る記憶であり、
人と人のあいだを渡るやさしさであり、
山に降る雪のように静かに積もっていくもの。
誰かがこの宿を訪れて、
心に小さな灯を持ち帰ってくれたら、
それが、この村が息づいている証だと思う。
これからも、山のリズムに耳を澄ませながら、
人の手と心で、この村を育てていきたい。
*
あのとき、うまく言葉にできなかった出羽屋村という風景が、
いまようやく、こうして形になりはじめている気がする。
たぶん、まだ途中。
でも、こうして少しずつ見えてくるのがうれしい。
厨房の隅できのこの下ごしらえをしていると、
子どもたちが「てつだうー」と言ってやってきた。
長男がなめこのじくを切りながら
「これ、山のにおいがするね」と笑った。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
この子たちが大人になるころ、
出羽屋はどんな姿であればいいのだろう。
便利さも効率も大事だけれど、
それだけじゃない何かを残したい。
人と自然が寄り添って生きる知恵。
誰かと食卓を囲んで「おいしいね」と言い合える時間。
そんな風景が、この先も続いていきますように。
子どもたちには、この村の風景を五感で覚えていてほしい。
山菜の香り、囲炉裏のぬくもり、初夏の沢の冷たさ。
それらがきっと、人生のどこかで
“帰る場所”になってくれると信じている。
だからぼくたちは、今日もこの場所で、
変わらない手仕事を続けている。
出羽屋村は、地図にはない。
けれど、確かにここにある。
それは、料理の香りに宿る記憶であり、
人と人のあいだを渡るやさしさであり、
山に降る雪のように静かに積もっていくもの。
誰かがこの宿を訪れて、
心に小さな灯を持ち帰ってくれたら、
それが、この村が息づいている証だと思う。
これからも、山のリズムに耳を澄ませながら、
人の手と心で、この村を育てていきたい。
*
あのとき、うまく言葉にできなかった出羽屋村という風景が、
いまようやく、こうして形になりはじめている気がする。
たぶん、まだ途中。
でも、こうして少しずつ見えてくるのがうれしい。
