この夏、ぼくはいくつかのものを手放した。
長いあいだ抱え込んできたもの、なくてはならないと思い込んでいたもの。
それらを手放すことで、失うどころか余白が生まれた。
不思議なことに、その余白には次々と新しいことが入り込んできた。
これまで考えられなかったことに挑戦できたり、止まっていた歯車が一気に動き出したりした。
絶対だと思っていたものほど、本当はそうではない。
その絶対を脇に置いたとき、パズルの欠片がぴたりとはまるように景色が変わっていった。
変わることには勇気がいる。
その決断が正しいのかどうかは、その瞬間にはわからない。
けれど、振り返ってみれば「あのときの選択でよかった」と思えることがある。
そうした積み重ねが、いまのぼくをつくっているのだと思う。
山に目を向ければ、そこにも同じことがある。
雪は春になれば必ずとけるし、緑の葉もやがて色を変え、土に還っていく。
その移ろいは、誰も止めることができない。
けれど、雪どけの水が川をつくり、落ち葉が大地を肥やすように、手放したものは新しい形で生きていく。
ぼくたちは、変わらないことに安心を求めがちだ。
しかし、変わりゆくことこそが自然の姿であり、生きるということなのだと思う。
今日、ぼくたちは「くどき上手」で名高い亀の井酒造さんの150周年記念式典にご招待いただき、お祝いをしてきた。
150年という年月は、ぼくたちにとってはまだ未踏の数字である。
素晴らしいオープニングムービーにはじまり、多くの方から祝辞が贈られ、そして今井会長と今井社長の言葉が続いた。
ぼくはその言葉を聞きながら、親子だからこその葛藤や、互いへの尊敬の深さに胸を打たれ、気づけば涙がにじんでいた。
舞台に立つお二人の姿は、とてもかっこよく、そして清々しく見えた。
出羽屋も数年後には100周年を迎える。
されど100周年。
この宿の長い歴史から見れば、最初で最後の“100年目”という一年になる。
そのとき、自分たちはどんな姿でいたいのか。
今日の式典で見た景色が、未来の出羽屋の姿と重なって、ぼくの中にふと浮かんだ。
これまでのぼくたちには、余白がなくてできなかったことがたくさんある。
「月山テロワール」の復刻や、「出羽屋村構想」の言語化、建物の改修など。
今年ももう3か月しかない。
けれど、手放すことで余白が生まれ、新しい道が開けるように、
数年後の出羽屋に想いを馳せ、未来をつくっていきたいと強く思った。
100年先を思うことは難しい。
でも、ヴィナイオータの太田社長が言っていた。
「ワインは、時を重ねることで美しく育っていく。その姿を未来に伝えることが、自分の役目だと思っている。だからこそ、ワインを大切に眠らせて、年月を経た味わいを、たとえその時に自分がいなくとも、後世の人たちに、ひと口ひと口に込められた時間や造り手の美しさを感じてもらいたい」
100年後、ぼくたちがこの世にいなくとも、ぼくたちが残したものが美しさを纏い、語り継がれることがあったなら、今こうしている意味があるのだと思う。
山が季節を重ねて廻っていくように、
ぼくも一歩一歩を踏み出していきたい。
