出羽屋に来てくださるお客様のなかには、
「山菜が好きだから」という方もいれば、
「山の空気にふれたい」と訪ねてくださる方もいる。
けれど、もっと奥のほうに
「山形を感じてみたい、知ってみたい」という気持ちが
あるのではないか──
そんなふうに思うことがある。
山の恵みをいただくということは、
そこにある暮らしや風景、季節のうつろいを丸ごと受けとることでもある。
食卓には並ばないけれど、山を歩く足音や、
手のひらに伝わるぬかるみの感触、
そんなものまで、皿の向こうに立ちのぼってくるような感覚。
でも、ふと気づく。
ぼくたちは、ほんとうに“山形”を知っているのだろうか?
山形には、四つの地域がある。
日本海に抱かれた庄内、雪深い最上、果樹が実る村山、上杉の記憶が息づく置賜。
それぞれに、違う空気があり、言葉があり、台所がある。
それを“山形”という一言でくくってしまうのは、
なんだかもったいない。
だから、はじめてみようと思った。
「山形再構築」という名前をつけて、
まだ知らない山形を、自分たちの足で歩いて、見て、食べて、話して、感じてみること。
たとえば昨年、鎌倉の山へ出かけた。
出羽の山とは違う、湿った空気と、低く枝を伸ばす木々。
その土地にしかないきのこ、その土地で生きる人の暮らし。
鎌倉の山で、山形の輪郭を、少しだけ知った気がした。
外に出ることで、自分たちの立っている場所が、あらためて見えてくることがある。
だからこの旅は、内にこもるための旅ではなく、ひらかれていく旅だ。
これからすこしずつ、「山形再構築」の旅を綴っていこうと思う。
それは、地域の紹介でも、観光ガイドでもない。
山形という土地に生きるぼくたちが、
自分の足でふれた風景を、料理や言葉にして手渡す、
そんなささやかな記録。
そしてその第一歩は、海と山の間に息づく、鎌倉の記憶から。
その様子を、7月25日にお届けします。
「山菜が好きだから」という方もいれば、
「山の空気にふれたい」と訪ねてくださる方もいる。
けれど、もっと奥のほうに
「山形を感じてみたい、知ってみたい」という気持ちが
あるのではないか──
そんなふうに思うことがある。
山の恵みをいただくということは、
そこにある暮らしや風景、季節のうつろいを丸ごと受けとることでもある。
食卓には並ばないけれど、山を歩く足音や、
手のひらに伝わるぬかるみの感触、
そんなものまで、皿の向こうに立ちのぼってくるような感覚。
でも、ふと気づく。
ぼくたちは、ほんとうに“山形”を知っているのだろうか?
山形には、四つの地域がある。
日本海に抱かれた庄内、雪深い最上、果樹が実る村山、上杉の記憶が息づく置賜。
それぞれに、違う空気があり、言葉があり、台所がある。
それを“山形”という一言でくくってしまうのは、
なんだかもったいない。
だから、はじめてみようと思った。
「山形再構築」という名前をつけて、
まだ知らない山形を、自分たちの足で歩いて、見て、食べて、話して、感じてみること。
たとえば昨年、鎌倉の山へ出かけた。
出羽の山とは違う、湿った空気と、低く枝を伸ばす木々。
その土地にしかないきのこ、その土地で生きる人の暮らし。
鎌倉の山で、山形の輪郭を、少しだけ知った気がした。
外に出ることで、自分たちの立っている場所が、あらためて見えてくることがある。
だからこの旅は、内にこもるための旅ではなく、ひらかれていく旅だ。
これからすこしずつ、「山形再構築」の旅を綴っていこうと思う。
それは、地域の紹介でも、観光ガイドでもない。
山形という土地に生きるぼくたちが、
自分の足でふれた風景を、料理や言葉にして手渡す、
そんなささやかな記録。
そしてその第一歩は、海と山の間に息づく、鎌倉の記憶から。
その様子を、7月25日にお届けします。
