山菜料理 出羽屋

小さなともだち

山ノオト

2025.06.28

梅雨入り前のある日から、次男が毎日、虫を連れて帰ってくるようになった。
保育園の帰り道。ニヤリとしながら、両手でそっと何かを包みこんでいる。
その様子を見て、ぼくは思わず笑ってしまう。かわいらしいなあ、と。
毎日ちがう虫たち。ダンゴムシ、ハサミムシ、バッタ……名前のわからない虫もたくさん。
虫かごが欲しいという彼の願いを、今年の誕生日プレゼントに叶えてあげた。


最近は、小さなクワガタをつれて帰ってきた。
「ねえ、これにごはん、あげてもいい?」
うれしそうな顔。真剣な目。
出羽屋のスタッフにも協力してもらい、木の枝や土、葉っぱを敷いて棲み処を整えた。
小さな虫かごの中に、彼のまなざしのすべてがつまっている。
朝起きて、保育園へ行く前にのぞきこみ、帰ってきて、また見に行く。
毎日のお世話が日課になった。


そんな彼の姿を見ながら、ぼくは、数年前に読んだ森田真生さんの『センス・オブ・ワンダー』を思い出していた。
レイチェル・カーソンが描いた原作は、ぼくに自然の見方を変えてくれた一冊だった。
その新訳と、森田さん自身の子育てと日常を綴った「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」は、読み手の胸をゆっくりとひらいていくような、静かな優しさがある。


そのなかの一節に、こんな言葉がある。
「人間の言葉を巧みに模倣する人工知能より、僕は川の言葉を翻訳できる機械を見てみたい。」
ぼくも山に入るたびに、まさにそのようなことを思っていた。
自然は黙っているようで、じつはたくさんのことを語りかけてくる。
ただ、ぼくたちがそれに耳をすませていないだけ。
雨上がりの苔のにおい、道端に咲く小さな花、木の根にひっそりいる虫たち。
言葉をもたない彼らの存在が、ふと立ち止まるきっかけをくれる。


どれも、人間のために用意されたものではない。
それでも、だからこそ、ぼくたちは想像を働かせなければならないのだと思う。
小さな命に出会うたび、宝物を見つけたような気持ちになるのは、そのためなのかもしれない。


そして今日もまた、小さな虫かごのなかで、次男のともだちが、静かに息をしている。