3月29日、山菜の日2026を開催しました。
今年はすっかり春の空気に包まれ、昨年とは打って変わって、やわらかな一日となりました。
朝の光もどこか穏やかで、
山から吹いてくる風も、少しだけあたたかい。
出羽屋のスタッフも、年に一度のお祭りにどこかそわそわとしていて、そんな春のはじまりでした。
県内外から25のつくり手のみなさんにご参加いただき、それぞれの土地で育まれたものが、この場所に集まりました。
今年は、去年ともおととしとも、また違ったかたちでの開催となりました。
TRASを中心に、あいべ、叶屋、そして出羽屋と、複数の会場を行き来する構成に。
また、ボランティアを募ったところ、全国各地から6名の方が集まってくれました。
ひとつの場所に集まるのではなく、
町の中を巡りながら、自然と人の流れが生まれていく。
歩くことで見えてくる風景や、
ふと立ち止まって交わす会話も、この日の醍醐味でした。
TRASでは、恒例の山菜マルシェを開催。
つくり手のみなさんが持ち寄った商品を前に、
お客さまとの会話があちこちで生まれていました。
「これはどうやって食べるんですか」
「え~、めっちゃおいしい」
そんなやりとりの中で、
ものと一緒に、その土地の知恵や記憶も手渡されていくようでした。
印象的だったのは、
山菜の日をきっかけに知り合った出店者同士が、
自然と並び、会話を重ね、
「一緒に何かやってみようか」と話している場面でした。
あの日の出会いが、
また次の営みへとつながっていく。
その連なりの中に、この日があるのだと感じました。
あいべと出羽屋では、「弁当の日」を開催しました。
子どもたちが、自分の手でお弁当をつくる取り組みです。
包丁を持つ手はまだ小さく、
動きもゆっくりで、ときどき止まることもあります。
それでも、一つひとつの作業に向き合う姿は、
とてもまっすぐでした。
そのあいだ、保護者のみなさんには映画『弁当の日』をご覧いただきました。
会場では、ハンカチで涙をぬぐう姿も見られ、
静かな時間の中で、それぞれが何かを受け取っているようでした。
子どもたちの手元と、
大人たちの胸の内。
別々の場所にありながら、
どこかでつながっていたのかもしれません。
この取り組みは、昨年11月に山形市で開催されていた「弁当の日」に参加したことがきっかけでした。
映画を観たとき、「これは広めたい」と感じ、
すぐに山菜の日での開催をお願いしました。
言葉にする前に、先に身体が動いていたような、
そんな感覚だったのを覚えています。
イベントが終わっても、
その余韻は、少しずつ日常の中にしみ込んでいます。
家では、子どもたちが交代で朝食の卵焼きを焼くようになりました。
火の加減を見ながら、そっと巻いていく姿。
ときどき形は崩れるけれど、
それも含めて、うれしい変化です。
長男は、自分用のフライパンと包丁がほしいと話しています。
その言葉を聞いたとき、
この一日が、確かに何かを残しているのだと感じました。
今年の山菜の日を通して、
出羽屋のあり方にも、少しずつ変化が生まれているように思います。
場としての出羽屋から、
人と人とのつながりが重なりあう場所へ。
誰かが来て、過ごして、帰っていく。
その繰り返しの中で、
気づけば関係が育ち、
また戻ってきたくなる場所になっていく。
そんな循環が、少しずつかたちになってきました。
翌朝、片づけのために出勤すると、
調理台の上に一枚のメモが置かれていました。
「最高のおもてなし ありがとうございました
出羽屋村 一同より」
その文字を見たとき、
これまで積み重ねてきたことが、
静かに、ひとつのかたちになったのだと感じました。
出羽屋は、ひとつの村に近づいたのだと思います。
今年はすっかり春の空気に包まれ、昨年とは打って変わって、やわらかな一日となりました。
朝の光もどこか穏やかで、
山から吹いてくる風も、少しだけあたたかい。
出羽屋のスタッフも、年に一度のお祭りにどこかそわそわとしていて、そんな春のはじまりでした。
県内外から25のつくり手のみなさんにご参加いただき、それぞれの土地で育まれたものが、この場所に集まりました。
今年は、去年ともおととしとも、また違ったかたちでの開催となりました。
TRASを中心に、あいべ、叶屋、そして出羽屋と、複数の会場を行き来する構成に。
また、ボランティアを募ったところ、全国各地から6名の方が集まってくれました。
ひとつの場所に集まるのではなく、
町の中を巡りながら、自然と人の流れが生まれていく。
歩くことで見えてくる風景や、
ふと立ち止まって交わす会話も、この日の醍醐味でした。
TRASでは、恒例の山菜マルシェを開催。
つくり手のみなさんが持ち寄った商品を前に、
お客さまとの会話があちこちで生まれていました。
「これはどうやって食べるんですか」
「え~、めっちゃおいしい」
そんなやりとりの中で、
ものと一緒に、その土地の知恵や記憶も手渡されていくようでした。
印象的だったのは、
山菜の日をきっかけに知り合った出店者同士が、
自然と並び、会話を重ね、
「一緒に何かやってみようか」と話している場面でした。
あの日の出会いが、
また次の営みへとつながっていく。
その連なりの中に、この日があるのだと感じました。
あいべと出羽屋では、「弁当の日」を開催しました。
子どもたちが、自分の手でお弁当をつくる取り組みです。
包丁を持つ手はまだ小さく、
動きもゆっくりで、ときどき止まることもあります。
それでも、一つひとつの作業に向き合う姿は、
とてもまっすぐでした。
そのあいだ、保護者のみなさんには映画『弁当の日』をご覧いただきました。
会場では、ハンカチで涙をぬぐう姿も見られ、
静かな時間の中で、それぞれが何かを受け取っているようでした。
子どもたちの手元と、
大人たちの胸の内。
別々の場所にありながら、
どこかでつながっていたのかもしれません。
この取り組みは、昨年11月に山形市で開催されていた「弁当の日」に参加したことがきっかけでした。
映画を観たとき、「これは広めたい」と感じ、
すぐに山菜の日での開催をお願いしました。
言葉にする前に、先に身体が動いていたような、
そんな感覚だったのを覚えています。
イベントが終わっても、
その余韻は、少しずつ日常の中にしみ込んでいます。
家では、子どもたちが交代で朝食の卵焼きを焼くようになりました。
火の加減を見ながら、そっと巻いていく姿。
ときどき形は崩れるけれど、
それも含めて、うれしい変化です。
長男は、自分用のフライパンと包丁がほしいと話しています。
その言葉を聞いたとき、
この一日が、確かに何かを残しているのだと感じました。
今年の山菜の日を通して、
出羽屋のあり方にも、少しずつ変化が生まれているように思います。
場としての出羽屋から、
人と人とのつながりが重なりあう場所へ。
誰かが来て、過ごして、帰っていく。
その繰り返しの中で、
気づけば関係が育ち、
また戻ってきたくなる場所になっていく。
そんな循環が、少しずつかたちになってきました。
翌朝、片づけのために出勤すると、
調理台の上に一枚のメモが置かれていました。
「最高のおもてなし ありがとうございました
出羽屋村 一同より」
その文字を見たとき、
これまで積み重ねてきたことが、
静かに、ひとつのかたちになったのだと感じました。
出羽屋は、ひとつの村に近づいたのだと思います。
