毎年3月になると、ぼくらには特別な節目がやってくる。
全国から、お客様も、出羽屋に縁のある人たちも、みんながこの日のために集まる。
そんな、ぼくらの夢が形になる日。それが「山菜の日」だ。
ぼくが大学生のころ、
山菜がどんな食材か周りに聞いてみても、知っている人はほとんどいなかった。
食やレストランの世界でも、いまのように天然の山菜や地方の食材に注目が集まることはほとんどなく、
皆の関心の中心は、東京の、あるいは都市のレストランにあった。
いずれ山形に戻るつもりだったぼくは、ただ不安だった。
このまま、山の文化はどうなってしまうんだろう。
自分に、何か変えられるんだろうか。
けれど、祖父と話すたびに、ぼんやりと未来の可能性も感じていた。
それだけを信じるしかなかった。
ぼくが山形に戻ってきて1年ほど経ったころ、
技術も、力も、人とのつながりさえもなかったが、
それでも、山菜のことを知ってほしくて、「山菜の日」を作った。
“ここから春が来るよ、ここから山菜が顔を出すよ”
雪国に暮らすものにとって春のはじまりを告げる、合図の記念日。
はじめのころは、記念日とはいえ名ばかりで、地域の人にさえなかなか知ってもらえなかった。
それでも、続けていくうちに、一人、また一人と仲間が増えていった。
先輩が、友人が、そして地域の人たちが「山菜の日」を一緒に盛り上げようと奮闘してくれた。
10年以上経ったいま、こんなにも多くの人に受け入れられ、
これほどたくさんの人とつながる日になるなんて、思ってもいなかった。
こうして続けてこられたのは、応援してくれる人たちがいたから。
いまでは、この日を目指して全国から人が集まる。それはもう、奇跡に近いことだと思う。
今年は、まだ春には少し遠い。
天然の山菜は、まだ眠っているか、ようやく顔を出しはじめたころ。
けれどあと少しすれば、一斉に木々が芽吹き、
地面のあちこちから、山菜がニョキニョキと伸びてくる。
木々のあいだからあたたかな光が差し込み、朝露に濡れた葉が、ピンと背筋を伸ばす。
そこに、確かな生命の息吹を感じる。
「おはよう。これから春が来るね」
ぼくらは、そんな山菜たちの門出を祝う。今年も、大好きな人たちと一緒に。
全国から、お客様も、出羽屋に縁のある人たちも、みんながこの日のために集まる。
そんな、ぼくらの夢が形になる日。それが「山菜の日」だ。
ぼくが大学生のころ、
山菜がどんな食材か周りに聞いてみても、知っている人はほとんどいなかった。
食やレストランの世界でも、いまのように天然の山菜や地方の食材に注目が集まることはほとんどなく、
皆の関心の中心は、東京の、あるいは都市のレストランにあった。
いずれ山形に戻るつもりだったぼくは、ただ不安だった。
このまま、山の文化はどうなってしまうんだろう。
自分に、何か変えられるんだろうか。
けれど、祖父と話すたびに、ぼんやりと未来の可能性も感じていた。
それだけを信じるしかなかった。
ぼくが山形に戻ってきて1年ほど経ったころ、
技術も、力も、人とのつながりさえもなかったが、
それでも、山菜のことを知ってほしくて、「山菜の日」を作った。
“ここから春が来るよ、ここから山菜が顔を出すよ”
雪国に暮らすものにとって春のはじまりを告げる、合図の記念日。
はじめのころは、記念日とはいえ名ばかりで、地域の人にさえなかなか知ってもらえなかった。
それでも、続けていくうちに、一人、また一人と仲間が増えていった。
先輩が、友人が、そして地域の人たちが「山菜の日」を一緒に盛り上げようと奮闘してくれた。
10年以上経ったいま、こんなにも多くの人に受け入れられ、
これほどたくさんの人とつながる日になるなんて、思ってもいなかった。
こうして続けてこられたのは、応援してくれる人たちがいたから。
いまでは、この日を目指して全国から人が集まる。それはもう、奇跡に近いことだと思う。
今年は、まだ春には少し遠い。
天然の山菜は、まだ眠っているか、ようやく顔を出しはじめたころ。
けれどあと少しすれば、一斉に木々が芽吹き、
地面のあちこちから、山菜がニョキニョキと伸びてくる。
木々のあいだからあたたかな光が差し込み、朝露に濡れた葉が、ピンと背筋を伸ばす。
そこに、確かな生命の息吹を感じる。
「おはよう。これから春が来るね」
ぼくらは、そんな山菜たちの門出を祝う。今年も、大好きな人たちと一緒に。